競馬予想の名馬達《アグネスタキオン》

競馬予想の名馬達《アグネスタキオン》

競馬予想でアグネスタキオンのような堅い軸馬がいれば、予想は非常に楽です。アグネスタキオンは、たった4戦しかしなかった虚弱体質な体と裏腹に、強烈な強さを競馬ファンに与えた記憶に残る名馬なのです。

アグネスタキオンの生年月日は1998年4月13日で、生産牧場は日本一の社台ファームにて誕生しました。父はあの名種牡馬サンデーサイレンス、母は桜花賞馬アグネスフローラと、エリート中のエリートとして大きな期待を背負い誕生したのです。また1歳上のアグネスフライトがダービーを制していたことも期待を背負う理由でした。

アグネスタキオンは、2000年12月の阪神競馬場にてデビューしました。芝2000mとクラシックを狙う期待馬が揃った新馬戦であり、アグネスタキオンは3番人気とやや人気は無かったのです。しかし微妙な人気をいい意味で裏切り、重い阪神の馬場では異色の33秒代の末脚で見事に差し切ったのです。続くラジオたんば杯3歳Sでは後のG1馬が多数集まる豪華な顔ぶれとなりましたが、またもや最速の上がりで今度は先行して圧勝したのです。兄や母の主戦ジョッキーであった河内騎手は、アグネスタキオンのさらなる可能性を確信し、管理する長浜博之調教師に兄を超える逸材だと伝えたのです。

翌年の皐月賞前哨戦である弥生賞に出走したアグネスタキオンは、ライバル達が前哨戦で戦うのを避けたため、圧勝してクラシックを迎えたのです。そして皐月賞は単勝130円の支持を集め、勝ち方に注目されるレースとなりました。トリッキーな中山競馬場でも、危なげなく先行抜け出しを決め、見事に圧倒的支持に応えたのです。

次のダービーも勝ち方に注目されるレースとなるはずでしたが、左前浅屈腱炎を発症し引退を余儀なくされたのです。通算成績は4戦4勝、主な勝ち鞍は弥生賞と皐月賞だけでしたが、2年連続でクラシックを勝った馬主渡辺孝男氏の運の良さが際立っていました。

競馬予想の名馬達《ステイゴールド》

競馬予想の名馬達《ステイゴールド》

競馬予想の際に、勝てる見込みが無くても馬券を買って応援してしまう馬がいます。ステイゴールドはそうやってファンに応援され続けた馬でした。

同馬は生年月日が1994年3月24日、社台グループの白老ファームが生産牧場で、馬主は同グループの社台レースホースですが、通算成績50戦7勝、主な勝ち鞍は香港ヴァーズと、数々の名馬と比べて明らかに見劣りする成績しか残せませんでした。

しかし、2着12回、3着8回と馬券に絡む事が多く、特に重賞戦線で度々波乱を巻き起こす存在であった為に、ファンからシルバーコレクターという異名を付けられます。そうして勝ちきれず惜敗を続けていると、軸馬としての安定性が光る上、次こそはと懸命にひた走る姿に、いつしかファンは馬券を購入し大きな声援を送るようになりました。

そして6歳(旧齢7歳)となった2000年の春の目黒記念で、それまで大半のレースで騎乗していた熊沢重文に代わり日本一のトップジョッキー武豊が手綱を取り、2年8ヶ月ぶりの勝利を手にしました。その日は土曜日で、しかも雨天だったにも関わらず、G1競走に匹敵する歓声と拍手が同馬に送られると、調教師の池江泰郎は感動して涙を流しました。

その後、海外遠征などを行いますがG1制覇には届きませんでしたが、引退レースとなった50戦目の香港ヴァーズで念願のGIタイトルを獲得し、史上稀に見る感動を与えてくれました。こうした出来事やG1の出走回数および連続重賞出走回数などが評価され、JRA特別賞を受賞しました。

引退後、種牡馬となった同馬は、三冠馬のオルフェーブルなど多くの名馬を輩出し、特に母父がメジロマックイーンである産駒が良績を残すなどの特徴がありましたが、2015年に大動脈破裂により、ファンに愛された生涯を閉じました。

競馬予想の名馬達《ヒシアマゾン》

競馬予想の名馬達《ヒシアマゾン》

競馬予想で注目された名馬の中で、ヒシアマゾンは牡馬に引けを取らないほどの実力を発揮したことで著名です。牝馬でありながらも強靭なスタミナと鋭い末脚があることから、男性の競馬ファンも魅了した名馬です。ヒシアマゾンの生産牧場は国内ではなく、アメリカのケンタッキー州になるため、外国産馬に分類されています。

ヒシアマゾンの父は、アイルランド生まれのシアトリカル、母もアイルランド系のケイティーズという血統になります。血統には母の父のノノアルコも含まれており、ヒシアマゾンの実力の一端を担っています。生年月日は1991年3月26日で、アメリカの生産牧場から日本に来てからは実業家の阿部雅一郎が馬主の役割を担うことになりました。調教師は美浦北に所属する 中野隆良が選ばれ、騎乗を主に担当したのは中舘英二騎手です。

ヒシアマゾンがデビューしてからは、牝馬とは到底思えないような活躍をするようになり、競馬予想における人気も上昇していきました。ところが、ヒシアマゾンは外国産馬に分類されている影響で、1994年当時のクラシックレースに出場することができなかったのです。この苦難に直面にしながらも、ヒシアマゾンは他の重賞レースで連戦連勝を重ねていきました。ついにはGIのエリザベス女王杯にも出場し、ライバルのチョウカイキャロルと大接戦を繰り広げて勝利しています。1994年の有馬記念では、粘りのある強さを発揮し、三冠馬のナリタブライアンに次ぐ2着の結果を残しました。

ヒシアマゾンの通算成績は20戦10勝で、主な勝ち鞍は1994年のエリザベス女王杯を挙げることができます。他のGIレースでは、1993年の阪神3歳牝馬ステークスも主な勝ち鞍になります。

競馬予想の名馬達《ミホノブルボン》

競馬予想の名馬達《ミホノブルボン》

牡馬のクラシック三冠は皐月賞、日本ダービー、菊花賞です。これらのレースはすべて距離が違いますし、また夏をまたぐので三冠馬になるのは非常に難しいといえます。その三冠馬という称号に無敗で挑んだのがミホノブルボンです。

生年月日1989年4月25日、父がマグニテュード、母がカツミエコー、生産牧場は原口牧場、馬主はミホノインターナショナルであるミホノブルボンは、決して前評判が優れているという馬ではありませんでした。しかし、調教師の戸山為夫は鍛えてもへばらない体力に目をつけ、ブルボンに過酷ともいえる坂路調教を行います。

当時、坂路調教はまだ新しい調教方法でしたが、力をつけたミホノブルボンは無敗でG1の朝日杯3歳ステークスを勝利、そして、前哨戦を経て、皐月賞を逃げ切りで勝ちます。

ただ、競馬予想家たちは日本ダービーを勝つかどうかという点で疑問を投げかけました。というのは、父がマグニテュードという血統は基本的に短距離馬であり、2400メートルの日本ダービーは長すぎると考えたのです。しかも、ミホノブルボンは逃げ馬であり、激しいマークを受けてダービーを逃げ切るのは大変です。

ところが日本ダービーでも逃げ切って圧勝、いよいよ、無敗で菊花賞に挑むことになりました。しかし、このレースはいつもと違うところがありました。それはブルボンよりも前に行く馬がいたということです。常に先頭で走っていたミホノブルボンは、二番手から前を追いかけました。むきになって追いかけるとスタミナを消耗してしまうため、騎手は手綱を引いて抑えます。

そして、最後の直線、先頭に立ったミホノブルボンでしたが、いつもと違うレースでわずかに消耗していたのか、直線で勝ち馬に差されてしまい二着に終わってしまいました。

結局、このレースが最後になりましたが、通算成績8戦7勝2着1回、主な勝ち鞍が皐月賞、日本ダービーというのは本当に立派だといえるでしょう。

競馬予想の名馬達《スペシャルウィーク》

競馬予想の名馬達《スペシャルウィーク》

競馬予想においてはこれまでに、高い実力を持った数多くの名馬達の名前が、様々なレースの優勝候補として挙げられてきました。そういった名馬達の中でもスペシャルウィークは、一時は日本における最高賞金獲得馬であったこともあるほど、その名を大きく轟かせていた馬です。

スペシャルウィークの生年月日は1995年5月2日で、生産牧場は日高大洋牧場でした。その父親はサンデーサイレンス、母親はキャンペンガールですが、特に有名なのは父親のサンデーサイレンスの方でしょう。アメリカ生まれの競走馬だったサンデーサイレンスは、引退後に日本に種牡馬として渡って来ました。その産駒の中からは数多くの名馬が誕生しており、13年連続でリーディングサイアーの座を獲得したサンデーサイレンスは、日本の競馬の歴史の中でも特に優れた種牡馬なのです。

また母親のキャンペンガールは、無敗のまま引退した名馬マルゼンスキーの産駒でありながら、競走馬としては目立った結果を残せませんでした。そしてキャンペンガールはスペシャルウィークを生んですぐに亡くなってしまったのですが、その名前は成長して名馬となった息子のおかげで、多くの人に知られるようになったのです。

スペシャルウィークの馬主はこれまでに複数の重賞優勝場を所有してきた実業家の臼田浩義氏で、調教師は2015年に引退し、現在は評論家として活動している白井寿昭氏です。

スペシャルウィークの通算成績は17戦10勝です。その主な勝ち鞍としては、1998年の東京優駿(日本ダービー)を思い浮かべる人が多いでしょう。大差での優勝を果たしたこのレースは、今でも多くの競馬ファンの語り草となっています。その他の主な勝ち鞍としては、1999年の天皇賞(春)やジャパンカップがあります。

競馬予想の名馬達《ジェンティルドンナ》

競馬予想の名馬達《ジェンティルドンナ》

ジェンティルドンナの父はディープインパクト、母は名牝としても知られるドナブリーニです。

生年月日は2009年2月20日、生産牧場はノーザンファームです。

馬主はサンデーレーシングで、デビュー時から石坂正調教師の手で管理されていました。

父は種牡馬として大きな期待をされていたディープインパクトと言うこともありデビュー時から期待されていたジェンティルドンナですが、新馬戦ではエーシンフルマークの2着に敗れています。続く未勝利戦では2着馬に0.6秒差をつけて圧勝しています。未勝利戦を勝利した後は牝馬としては例外的なコースを選択し、牡馬も出走するシンザン記念に出走し勝利をおさめています。牝馬クラシックへ向けてはチューリップ賞をステップレースとして選択していますが、直前の発熱の影響もあり4着と言う成績を残しています。

ジェンティルドンナの通算成績は19戦10勝となっており、牡馬とも渡り合う能力を持った牝馬として知られています。

競馬予想にも度々関わってくる名馬であり、主な勝ち鞍は有馬記念やジャパンカップなど数々のG1です。

ジェンティルドンナは牝馬クラシック戦線でも3冠を獲得するなど、歴代の名馬の中でも素晴らしい戦績を残しています。

2012年のジャパンカップでは、当時の最強馬として活躍していたオルフェーヴルを破って優勝を果たしており、引退レースである2014年の有馬記念でもラストランを勝利で飾っています。
また2014年度にはドバイにも海外遠征を行っており、ドバイシーマCを海外の名馬達を退け優勝していることも彼女の価値を高めています。

引退後にはキングカメハメハと種付を行い、繁殖牝馬としても期待されています。

競馬予想の名馬達《ナリタブライアン》

競馬予想の名馬達《ナリタブライアン》

1990年代に競馬予想をしながらレースを楽しんでいた人にとって、ナリタブライアンは多くの人の印象に残る名馬です。

ブライアンズタイムを父に、パシフィカスを母に持つナリタブライアンの生年月日は1991(平成3)年5月3日で、生産牧場は早田牧場新冠支場です。出生時は他馬と比べて目立つ所はありませんでしたが、成長とともに高い身体能力を示し始め、競走馬として歩み始める前から関係者の間で評判となっていました。

ナリタブライアンは、オースミシャダイやナリタタイシンの馬主として知られる山路秀則によって購入されました。3歳となった1993(平成5)年5月に大久保正陽調教師の厩舎に入り、8月15日に函館競馬場の新馬戦でデビューしましたが2着に敗れ、中1週で出馬した新馬戦で初勝利をあげました。

デビューしてしばらくの間、ナリタブライアンの成績は安定しませんでした。これは、レース直前になると興奮する傾向があったことと、生まれつき臆病な面を持っていたことが理由でした。陣営はこれを解消するために、一般的な競走馬より短い間隔でレースに出走させ、6戦目の京都3歳ステークスからはシャドーロールを装着しました。以後、ナリタブライアンは並外れた集中力と身体能力で数々の大きなレースを制していきました。

ナリタブライアンの通算成績は21戦12勝、主な勝ち鞍は朝日杯3歳ステークス、皐月賞、東京優駿、菊花賞、有馬記念ですが、競走生活においてあげた勝利のほとんどは3歳から4歳にかけてでした。その理由は5歳時に右股関節炎を発症したためで、2ヶ月程度の治療が施されて復帰したものの、その後は全盛期の力を発揮できず精彩を欠くレースが続きました。6歳時の阪神大賞典でマヤノトップガンとの印象的なマッチレースを制し、復活の兆しを見せ始めたものの、天皇賞で2着、高松宮杯で4着に敗れた後、右前脚に屈腱炎を発症したため、引退を余儀なくされました。